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詩・過去作品4『空の向こうに』から 心の声を聴こう

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根拠のない自信にあふれ、 何とかなると生きていられたあの頃。
私は何でも出来るし、 たとえ、出来なかったとしても 軌道修正しながら納得のいく ゴールを都度迎えることができていた。
時折訪れる、ままならないことなど、 気にもせずに難無く乗り越えて そうやって生きてきた。
今思えば、それが若さという輝きだったのかもしれない。
いつしか、あんなにあった自信は ささいなことで打ち砕かれ かろうじて残ったモノは もう何をしても輝かない。
『過去の栄光』 というモノになってしまったのだ。
今の私は、人の持っているものを 羨んだり妬ましく思うこともある あさましい状態だ。
『今まで頑張ってきたのに…… 何なの、ここにいる私は!』 と心の中で声がする。
これが自己嫌悪というものなのか。 元々、私の中にあったんだろう。 その声が最近、私を叱咤し始めた。
『今欲しいモノに対して、何も成しえてないと思ってるよね?』
満たされないというこの気持ちのこと?
『成しえたモノもあることを あなたは数えていないでしょ?』
私が成しえたモノ?
『そうだよ。今だって仕事はあるじゃない』 『それに、自分の家族を作るってことも大変なことなのよ』
ああ、そうか。 そういうところは成しえている。 ご縁があって、少なくてもお仕事があることも 素の自分でいられる場所を持っていることも 私は手に入れていてそこは 唯一の愛ある居場所だ。
じゃ、あとの欲しいモノはどうやって手に入れたらいいのか。 納得のいく未来を手に入れたいの。
『それには行動しかないよ』 『手に入れられるかどうかよりも動き出そうよ』
私に出来るかな……?
『どうやったら出来るかを考えたら?』


…… その行動に恐れもある。 でも、私のほしいものを持っている誰かを 意識する前に、私には出来ることがあるハズ。
未だにままならないことは訪れる。 それは年齢を重ねれば尚更増えるのだ。
『自分を信じて』
私が私であるために。 これからの人生のために。
幾度も私はまじないの様に 心の声を聴いて対話する。


西門 檀

母との時間

2018年、お正月も終わったと思っていたら 母と私同時に風邪を引いた。
寝たきりになった母の介護が始まり、 私は実家にとどまる事になり……
経済的にも体力的にも 暗雲が立ち込めた。
夢を現実だと思い込んだ母。 そんな母を置いて、 週3日は外で仕事をしなければいけない私。
期限なんてない、そういうものが介護なんだと 一人で立ち向かう事になったのだ。
頼れるのは、甘えられるのは 私が主人と築いた家族だけ。 それでも、心強いもの。
だけど、日が経つにつれ その家族にも限界があることを知る。
そんな中、母に回復の兆しが見え始める。 人間ってすごいよ。
動けるようになり、一時的なオムツも 不要になった。
最近は、お風呂にも入れるし 洗濯をするまでに。
それでも、まだ不安があるので 私は実家泊まり。 夜中3時に母が大音量でテレビをつけたり、 ベッドから落ちたりするから。
でもいい。 最近は冗談を言ってよく笑うようになった。 夢を現実のように語らなくなった。
母との時間が増えて、 私も人生を見つめなおす時間が増えたと思えば 案外、介護も悪くない。
世の中の大半の人は、 介護が大変だと言うけれど 大変なことばかりでもないからだ。
これから何年間、何十年間かもしれないけど 親と過ごす最後の時間だと思えば、 それは私には特別な時間であって 生活の一部分なのだろうと思う。

子どもの頃私は、 親に時間を共有してもらった。 それは、親にとって特別な時間だったはず。 そして、親の人生や生活の一部分だった。
親は、子どもの幸せを願い 育て上げたのだ。
私は、母の老後の幸せを願い 寄り添い生活を共にする。
ただ、それだけの事で 文筆している私にとっても 素敵な時間を過ごしている。

西門 檀



詩・過去作品3 限りなど

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限りというものはあるようでない。 ないようである、そんなものだ。
だけど、諦めた時点で限りが見える。 そこに自分で終わりを決めるからだ。
だが、あなたの住む世界の美しさには 本当は限りなどない。
目に見えるものに心癒され、 声なき風景に耳を澄ませて、 身体の奥底から 揺さぶられるような感動に 支配されることは そこいらじゅうに存在する。
何もない毎日を送っている人に、 自分を見失って過ごす悲しい人に。
限りあるを限りないにするのも、 限りないを限りあるにすることも、 自分次第なんだと 感じてほしいと思う。
そこいらじゅうにあるよ。 美しものも楽しいことも。
あなたの住む世界も、 わたしの住む世界もまんざらでもないんだから。
2018/1/20

明日も歩こう

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ゆるやかに日がくれる
気の早いお月様が
闇を呼び
君が私と手を繋ぐ

風は明日も優しいか?
花は君に降り注ぐ?
行く手に道があるかぎり
今日と違った明日が来る

歩いて行けるよ
君となら

どんどん
どんどん
景色を変えて


西門 檀



詩・過去作品 2 いとおしさの理由

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詩・過去作品 1  薫風

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2015/9 作品 薫風

足りない何か

エッセイ開始の最初のページタイトルがいきなり『足りない何か』というのも
何だなぁ……とは思うけどこれが私の中にある事実なのでこのタイトルから始めます。

どうも西門檀です。
初のエッセイなのでよくわからないまま書いていますが
お付き合いのほどを、宜しくお願いいたします。


私は物心ついたころから、この何か足りないという感じを抱えて生きています。

常に不安があって満たされない。
本当はまあるい形なのに、少し凹んでいて完ぺきではない気がする。
そんな未完成な気分を抱えて生きている、ずっと不思議な感覚なんです。

足りない分は補ってきたんですが、補ってもまた凹みは出来てしまい
全然埋められることありません。
それでもここ最近は大きな不安に襲われることもなく何とか乗り切っています。

何とか乗り切っている要因には家族の存在があったり、
好きなことを仕事にしているという現状もあるのかもしれません。
いつまでたっても、いくつになってもまだまだダメダメな自分と向き合うのは
容易ではありませんけど、それが自分なんだと思う事にしています。

何年くらい前でしょうか、そんな私のことを見透かした人がいました。
その人は大きな事業を成し遂げていて自信に満ちた人でした。
とっても憧れましたね。
その人は私の手を取ってこう言ったんですよ。

『自分を認めて、自分を許していいんですよ』って。

その素敵な人が言うには『自分を愛してあげて欲しい』ということでした。
まだまだダメダメと自分を否定して生きるのは良くないよって
いう事だったんだと思います。

愛されて育ったと思うんですよ、私。
でも自分を愛することに戸惑いがあるのかな。
思い当たることがあるのでそれが原因だと思います。
(原因についてはまた別の機会に……)

私は人を愛せることが出来る人間なのは自分でも分かっているので
そこは問題がないと思います。
でも、私は愛されている自信がないままここまで来たんだと最近
分かりました。

それが『足りない何か』だということも分かったんですよね。
足りないのは自分であることへの自信のようなものだと。


いつからかな、
「あー、この人の言う事は社交辞令なんだろうな」とか
「そんなこと本気で言っていないんだろうな」とか誰かと居ても
一歩踏み込めないでいる私がそこにいて愛想笑いで乗り切って居ることが
多くなっていたんです。