母との時間



2018年、お正月も終わったと思っていたら
母と私同時に風邪を引いた。

寝たきりになった母の介護が始まり、
私は実家にとどまる事になり……

経済的にも体力的にも
暗雲が立ち込めた。

夢を現実だと思い込んだ母。
そんな母を置いて、
週3日は外で仕事をしなければいけない私。

期限なんてない、そういうものが介護なんだと
一人で立ち向かう事になったのだ。

頼れるのは、甘えられるのは
私が主人と築いた家族だけ。
それでも、心強いもの。

だけど、日が経つにつれ
その家族にも限界があることを知る。

そんな中、母に回復の兆しが見え始める。
人間ってすごいよ。

動けるようになり、一時的なオムツも
不要になった。

最近は、お風呂にも入れるし
洗濯をするまでに。

それでも、まだ不安があるので
私は実家泊まり。
夜中3時に母が大音量でテレビをつけたり、
ベッドから落ちたりするから。

でもいい。
最近は冗談を言ってよく笑うようになった。
夢を現実のように語らなくなった。

母との時間が増えて、
私も人生を見つめなおす時間が増えたと思えば
案外、介護も悪くない。

世の中の大半の人は、
介護が大変だと言うけれど
大変なことばかりでもないからだ。

これから何年間、何十年間かもしれないけど
親と過ごす最後の時間だと思えば、
それは私には特別な時間であって
生活の一部分なのだろうと思う。


子どもの頃私は、
親に時間を共有してもらった。
それは、親にとって特別な時間だったはず。
そして、親の人生や生活の一部分だった。

親は、子どもの幸せを願い
育て上げたのだ。

私は、母の老後の幸せを願い
寄り添い生活を共にする。

ただ、それだけの事で
文筆している私にとっても
素敵な時間を過ごしている。


西門 檀




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